小田原梅千の由来
小田原は梅花の名所、梅干の名産地として古くから知られていますが、これは
北條氏の時代に城内及び士族屋敷に梅の木を植えさせたのが始まりといわれています。
平時には梅の花を楽しみ、戦時には携帯用食品として梅干をつくりました。
名産として売り出されるようになったのは、江戸時代、小田原が宿場町として
発達してからで、東海道を上下する旅人が箱根の難所を越える際の弁当の腐敗を防ぎ、
且つ気力を養い、渇きをうるおすものとして必需品になったためです。

日露戦争中、当店が満州陸軍に梅干をおさめる際に
砂塵の混入を防ぐため、梅干をしそで巻いたのが「しそ巻
梅干」の始まりといわれています。しその雅味と梅干が
程よくからみ合い、その風味が好評をよび、小田原特有の
ものとして喜ばれています。
小田原では「十郎」「白加賀」「豊後」などの梅が多く
栽培され、とくに「十郎」は梅干用の梅としては、最も
優れた品種です。やや小ぶりなものの、皮がうすく、
肉質は良好で、陽に当たる面は紅色を帯び、熟すと
黄色になります。 |